「人間の絆」より

「いいかね、何世紀間というもの、芸術家の眼は、墻を飛び越える馬は、ちゃんと脚を伸ばしているものだと見た。

影には色があることをモネが発見するまで、やはりその眼は影は黒いものとばかり見ていた。

僕らが物の輪郭を黒い線で囲みさえすれば、世人は当然、その黒い線を見るだろうし、

したがって黒い線があることになるのだ」

「人生ってものはね、生きるためにあるのだ。

なにもそれについて書くためにあるんじゃない。

僕の目的は、人生が提供してくれるいろいろ様々の経験を探し求め、

生の一瞬一瞬から、それの情緒をもぎとることなのだ。

創作などというものは、要するに、この生から、快楽(よろこび)を吸いとってしまうかわりに、むしろ生に快楽を加えるための美しい機能(はたらき)に過ぎないのだ。

後世に残るかって?――後世なんて糞食らえさ」

「人間って奴はね

意志は自由だという迷妄(イリュージョン)をあまりにも深く信じこんでしまっている。

だが、さて何かをして後になって考えてみるとだね、

要するにそれは、この宇宙、永劫の過去からのすべての力が

寄り集って僕にそうさせたに

僕がどうしようと、それを妨げることなどできやしない。

だからそれが善だったからって、功を主張することも出来なけりゃ、

悪だったからって、非難されるいわれはない」

「人が或ることをする、つまりそれは自分にとってよいからなんだ。

ただそれが、たまたま他人にとってもよいことであった時に

道徳的だと考えられるだけの話さ」

現実の生活は夢であって、

いつかふと夢から醒めると

もう一度家へ帰ってるのではないか、

などと思ったものだった。

世にも単純な模様、

つまり人が生まれ働き結婚し

子供を持ち、そして死んで行くというのも

また同様にもっとも完璧な図柄なのではあるまいか?

幸福に身を委ねるということは、

たしかにある意味で敗北の証人なのかもしれぬ。

だがそれは、多くの勝利よりも、はるかによい敗北なのだ。

人間とても

他のもろもろの生物と同様、

無意味な存在にすぎないことには

毫も変わりはなく、創造の頂点として

生まれたものなどでは決してない。

(中略)

人生は結局一個の芸術、それを知るものが

彼ただ一人であり、彼の死とともに

永久に消えるものであるからといって

その美しさに少しも変りはないのだ」

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