「沖田総司のすべて」より

誰だって明日死ぬかもしれない、ということは条件として同じようにあるのだけれど、

何かの形で外から示されない限り、生命がある時が永遠に続くものと思ってしまう。

そして自分の手で、その永遠さを止めてしまおうとか・・・。

総司のように自分の生命を見つめたものが、おそらくは心臓が自分の意思と関わりなく止まってしまうまでの間を悔いなく、精一杯生きたであろうことを悲しくなるほど美しいと思うし、

また己の命を見つめつつ生きることの難しさを思い返してみたりもする。

その人の生きた時代の様相をまったく知らずに現代の倫理に合わせて、正邪善悪を云々するのは好きではない。

いや、そのようなこと、考える必要はないのではありませんか?

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命があるということに思いをはせることができるのは、

それだけ自分にゆとりがあるということではないでしょうか。

そのゆとりを甘さとか甘えとか言う人もいる。

人生のスタートに立っていないからだと決めつける大人もいる。

でも、自分の命をどこまで燃え上がらせてよいのか、自分は何のために生まれてきたのか・・・、

何をするために、何をしていいのかわからないままに、でも精一杯に生きたいとだけは願っている夢多き年代。

その時、たまたま私たちの前に現れたのが「彼」だったとしたら、

激流の時代に、視野こそ狭かったけれど、自分の命を、全身全霊をあげて燃やし続けた若者がいたということ、それだけで私たちは充分に彼に憧れるのです。

精一杯に生き、そして死んで行く自分の命を、いやが上にも直視し続けなければならなかった人の魂を思って、その魂に邂逅(かいこう)し得ただけで充分なのです。

そして「彼」のことを思い浮かべると同時に、これから自分の生きていこうとする道を見つめる。

決して「人斬り」を賛美しているのではないのです。

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討幕であれ、佐幕であれ、又そのどちらにも属さないにしても、

可能性に向かって進んでゆこうとした、この時代の若者に、深い感銘を覚えるのです。

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いつも明るく思いやりを持って、何事にも挫けずに生きたい、

それが私の理想です。

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人それぞれ精一杯生き抜くことが、大切なのでしょうね。

「沖田総司のすべて」より

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